歴史探訪(名城巡り 北陸旅行1)
歴史探訪(名城巡り 北陸旅行1)
4月15日~16日
少し前になりますが、読売旅行社で催された北陸名城巡り(保険込み34000円/人)に参加しましたので、感想等報告します。ほとんどのところが、ボランティアガイドによる案内でした。
第1日目(金沢城 富山城 高岡城 七尾城)
金沢城は、
近年観光資源として復元にお金をかけており、広い敷地と各時代の石垣が印象的でした。石川門(1788年再建)をでて隣接の兼六園も合わせてみればさらに良いと思います。菱櫓・五十軒長屋・橋爪門続櫓は木造建築としては戦後最大規模とのこと。昔50数年前高校2年の夏に、石川門からお城に入りましたが、その時の金沢大学の校舎は、今はなく郊外へ移転したらしい。
富山城は、
鉄筋の富山市郷土博物館で何もお城として見るべきものはないが、歴史としては、天文12年(1543年)神保長識(じんぽながもと)が建て、前田藩時代には、一国一城令で一旦廃城となったが、富山藩分藩(初代前田利次)により再築城し、明治6年廃城となった。戦国時代富山西半分は畠山の守護代神保氏、東半分は畠山の守護代椎名氏、能登は畠山氏という勢力図であったらしい。
高岡城
加賀藩二代前田利長が隠居していた富山城が1609年火災で焼け、高岡城を築城したが、1615年一国一城令で廃城となった。廃城にはなったが、その後も、軍事・産業基地として継続して使われ町として発展した。自然公園として堀や石垣が保存されており風情がある。
七尾城
能登畠山氏の拠点で上杉氏により1577年落城、標高約300mの山城で石垣が残っている。七尾市街が見えて眺望が良い。ガイドが曰く、荏原製作所の創始者畠山氏は能登畠山氏の子孫で七尾城保存のために大金を寄付したとのこと。
第2日目(福井城 北の庄城 大野城 丸岡城 )
福井城
慶長6年1601年結城秀康は越前一国68万石を拝領し、5年かけて福井城を改修、慶長12年34歳で死去。天守は1669年焼失、その後再建されず。堀・石垣はさすが立派であり、建物も復元整備が少しは進んでいるが、県庁が立っているため、大々的にはできないようだ。ガイド曰く秀康は松平性を最後まで名乗らなかったがいろいろの思いがあったと思われるとの事。
北の庄
柴田勝家の居城で1575年から築城を開始、1583年落城。福井城から南に足羽川方面に歩いて5~6分のところに柴田神社があり、ここが北の庄があったところとの説明であった。北の庄があったとの伝承の地を、平成5年から発掘調査し、堀・石垣のほんの一部が発掘された。
越前大野城
金森長近が天正4年1576年築城を開始、1775年焼失、1795年再建、1873年廃城、旧士族萩原貞氏の寄付により、天守閣を推定復元。藩主は1631年土井利勝四男利房が4万石で拝領。亀山の上に建てられた野面積み平山城で下から歩いてかなり登る必要がある。天守から山と盆地上の平野全体が見えて景色は良い。
越前丸岡城
1576年勝家の甥勝豊が築城、1620-1640年 現存12天守の一つである。昭和23年福井大震災で倒壊、昭和30年修復再建された。安井、青山二代、今村、本田四代、有馬八代と城主が変わり明治へ。建物は12天守のうち2番目に古い(1537年犬山城)と言われていて確かに古く、古民家風である。やすく作るため瓦は付近の石で作った石瓦で20~50kg/枚、6000枚使用。行っていない現存12天守は、あと2つ(丸亀城、備中松山城)
4月15日~16日
少し前になりますが、読売旅行社で催された北陸名城巡り(保険込み34000円/人)に参加しましたので、感想等報告します。ほとんどのところが、ボランティアガイドによる案内でした。
第1日目(金沢城 富山城 高岡城 七尾城)
金沢城は、
近年観光資源として復元にお金をかけており、広い敷地と各時代の石垣が印象的でした。石川門(1788年再建)をでて隣接の兼六園も合わせてみればさらに良いと思います。菱櫓・五十軒長屋・橋爪門続櫓は木造建築としては戦後最大規模とのこと。昔50数年前高校2年の夏に、石川門からお城に入りましたが、その時の金沢大学の校舎は、今はなく郊外へ移転したらしい。
富山城は、
鉄筋の富山市郷土博物館で何もお城として見るべきものはないが、歴史としては、天文12年(1543年)神保長識(じんぽながもと)が建て、前田藩時代には、一国一城令で一旦廃城となったが、富山藩分藩(初代前田利次)により再築城し、明治6年廃城となった。戦国時代富山西半分は畠山の守護代神保氏、東半分は畠山の守護代椎名氏、能登は畠山氏という勢力図であったらしい。
高岡城
加賀藩二代前田利長が隠居していた富山城が1609年火災で焼け、高岡城を築城したが、1615年一国一城令で廃城となった。廃城にはなったが、その後も、軍事・産業基地として継続して使われ町として発展した。自然公園として堀や石垣が保存されており風情がある。
七尾城
能登畠山氏の拠点で上杉氏により1577年落城、標高約300mの山城で石垣が残っている。七尾市街が見えて眺望が良い。ガイドが曰く、荏原製作所の創始者畠山氏は能登畠山氏の子孫で七尾城保存のために大金を寄付したとのこと。
第2日目(福井城 北の庄城 大野城 丸岡城 )
福井城
慶長6年1601年結城秀康は越前一国68万石を拝領し、5年かけて福井城を改修、慶長12年34歳で死去。天守は1669年焼失、その後再建されず。堀・石垣はさすが立派であり、建物も復元整備が少しは進んでいるが、県庁が立っているため、大々的にはできないようだ。ガイド曰く秀康は松平性を最後まで名乗らなかったがいろいろの思いがあったと思われるとの事。
北の庄
柴田勝家の居城で1575年から築城を開始、1583年落城。福井城から南に足羽川方面に歩いて5~6分のところに柴田神社があり、ここが北の庄があったところとの説明であった。北の庄があったとの伝承の地を、平成5年から発掘調査し、堀・石垣のほんの一部が発掘された。
越前大野城
金森長近が天正4年1576年築城を開始、1775年焼失、1795年再建、1873年廃城、旧士族萩原貞氏の寄付により、天守閣を推定復元。藩主は1631年土井利勝四男利房が4万石で拝領。亀山の上に建てられた野面積み平山城で下から歩いてかなり登る必要がある。天守から山と盆地上の平野全体が見えて景色は良い。
越前丸岡城
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